児童の権利条約ができるまで② -保護を受ける権利-

 前回、児童の権利条約ができるまでに、子供に対する見方が保護から自律へと変わってきたことを、「子ども観の変容と児童権利条約」(国立国会図書館調査及び立法考査局)という論文によって、大きな流れをみてみましたが、今回から東洋大学教授の森田明氏の著書「未成年者保護法と現代社会」をご紹介しながら、児童の権利条約の背景を少しずつ見ていきたいと思います。

 19世紀後半、米国では急激な産業革命の進展と大量の移民の流入によって、都市化とスラム化が進み、伝統的な家族や共同体が解体され、

「家族という寄る辺を持たない子どもたちは、成人と同じ『契約自由の主体』として過酷な労働市場にむき出しにさらされて買いたたかれるとともに、侵した犯罪に対しては『責任の主体』として厳格でフォーマルな当事者主義の手続によって刑を科された」

という社会状況が生まれ、適切な親がいない場合に国が親代わりとなって保護しようという児童救済・福祉運動が展開されました。また、法律上も

「1899年のイリノイ少年裁判所法21条は、法の基本精神(パレンス・パトリエ理念)を『本法によって子どもに与えられる世話、監護、およびしつけは、実の親によって与えられるはずであったところのものに最大限近づかなければならない』と」

して、成人の場合とは異なる手続によって裁判を行うこととしています。これについて森田氏は、

「『家族の力』は、20世紀アメリカを開く希望であると同時に眼前の危機にさらされた存在だった。法は家族の力を補強し『緊急かつやむをえない』場合には親になり代わるものとして呼び出されたのであり、このパレンス・パトリエ権限の下で子どもに与えられる『利益』(客観的ニーズの充足)を彼らはChildren's Rights(子どもの権利)の名で呼んだのである。」

と解説しています。パレンス・パトリエとは「国親」(国は子どもの最後の親である)と解されていて、子どもの権利とは、パレンス・パトリエの下で保護を受ける権利だったのです。

 こうした考え方が、1959年の「児童の権利宣言」へと展開され、

「彼ら『改革者たちは、権利を子どものニーズや親の監護欠損の観点から定義する新しいパターナリスティックな語彙を創出しなければならなかった』のであり、ある実務家はここで権利概念のインプリケーションを『自由への権利ではなく監護を受ける権利』という対句で完結に言い表した。つまり昨今用いられるキーワードをもじって言えば、子どもは「権利行使の主体」の位置から救い出されて、むしろ「保護の客体」として発見されたのである。」

と論じています。

 つまり、産業革命に伴う社会環境の変化によって家庭から放り出された子どもたちが、子どもという概念がないままに大人と同様に労働に従事させられたり、刑罰を受けたりしたことで、現在子どもの権利条例を推進する方々が主張するような「子どもは権利行使の主体」ではなく、子どもには保護を受ける法的地位があるという考え方がひろまり、20世紀前半、こうしたパターナリズム(保護主義)が米国で支持されて、国連の児童の権利宣言(1959年)にも盛り込まれたということです。元々が保護の客体だったのではなく、大人と同じ扱いだった子どもが保護を受ける権利を獲得したのです。

 また、森田氏は、家族の理想と法による補充的補強という観点から次のように論じています。

「child saver たちは〈家族の理想〉を胸中に抱きながら、『親の無能力や不道徳』によって街中に放任され、工場の暗がりや炭鉱の底でうごめいている子どもたちのために、また親の手におえない不良・犯罪少年のために、パレンス・パトリエ(国は子どもの最後の親である)の名で呼ばれた『親代わり』の法のネットワーク(少年裁判所、効率の高い義務教育学校、諸々の児童福祉制度)を創り出すことに力を注ぎ込んだ。今や法は、『子どもの権利』の名において『やむを得ない場合』に自然の親子関係に介入することができる。つまり、彼らは産業革命の嵐の中で親の自然のパターナリズムが分解・動揺し始めたその限度に従って、リーガル・パターナリズムの手によってこれを補強・再編しようとしたのである。」

「『子どもの保護を受ける権利』はパレンス・パトリエの下で充足されるべき子どもの〈保護へのニーズ〉にほかならず、厳密には子どもの客観的な法的地位(entitlement)と呼ぶべきものであった。パレンス・パトリエ理念の嫡出子とも言うべき『児童の権利宣言』が、多くの箇所でrightに代えてentitlementという客観法上の概念を用いているのは決して理由のないことではない。」

「注意しておくべきことは、右のようなパレンス・パトリエ理念は、実は法以前の世界に親の自然のparenthoodと親子間の〈権威-信頼〉の構造が、生きた『社会の基盤』として実在していることを前提にして成り立つという点である。」


 つまり、子どもを育てられない家庭が出現して国による子どもの保護が必要とはなりましたが、まだまだ健全な家庭が一般的だったために、そうでない家庭の子どもが健全な家庭に近づくように補充的補強という役割をパレンス・パトリエという理念が担っていたのです。

 こうした流れが、20世紀後半になって、1989年に児童の権利条約が採択されるまでに、保護を受ける権利からオートノミーの権利へと逆流していくのはどうしてなのかについて次回以降見ていきたいと思います。

※参考文献
 「未成年者保護法と現代社会-保護と自律のあいだ-」
  著者:森田明、発行:有斐閣

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