札幌市の例(2)

 前回、札幌市の子どもの権利条例案が平成19年2月に定例市議会で否決され、その後4月の市長選で、子どもの権利条例制定を公約に掲げた上田市長が再選したところまでお伝えしましたが、2月に否決されたばかりにも関わらず、その年の8月には、札幌市子どもの権利条例検討会議が設置され、再度検討が始められました。

 翌平成20年2月にはパブリックコメントが実施されましたが、意見募集の内容は「現在、検討を進めている(仮称)札幌市子どもの権利条例について、当初の条例案に対する修正の方向性と、条例に盛り込む救済制度の項目(案)について、ご意見を募集します。」というもので、条例案に対するものではなく、条例制定を前提としたものでした。

 今、国では男女共同参画第3次基本計画が閣議決定されようとしていますが、今年の4月に計画の中間整理についてパブコメを行ったところ、特に夫婦別姓を含む民法改正に反対する意見が多かったと思うのですが、そうした反対意見が考慮されずに、8月には計画に盛り込むべき施策が募集され、現状では最終案に対するパブコメが行われることなく、反対意見が多いままの計画案が閣議決定されようとしていますが、当時の札幌市も同じような状況でした。

 しかし、この後、市議会に対して多くの反対陳情が寄せられました。当時の様子を情報誌WING SAPPORO(平成20年6月号)が次のように伝えています。記事の後半には札幌市民が市議会に提出した陳情が掲載されていますので、その内容については次回お伝えしたいと思います。

※WING SAPPOROの記事転載については、株式会社ウイング出版様の許可を頂戴しました。誠に有り難うございます。

-------------------------------------------------------------
「濫用防止規定のない 危ない子どもの権利条例」(WING SAPPORO平成20年6月号)

 札幌市が制定を進める「子どもの権利条例」。これまでも本誌では、札幌市の子ども権利条例は国連の条約(外務省訳)とは異なること、子どもを道具に偏ったイデオロギーを実現しようとしているもので、子どものためではなく偏向した大人のための条例だと警鐘を鳴らしてきた。まさにそれが実証されたような集会が開かれていた。

 3月26日、札幌エルプラザで開催された「『札幌市子どもの権利条例』について考える市民集会」。その講演終了後、集会決議が採択された。決議文の中には、「虐待やいじめを許さない」「地域の連携で(子どもは)健全に育まれる」などともっともらしいことが書かれてあるが、これを要約すると「『国家による管理教育』が強化される中、それと相反する理念をもつ(国連の)子どもの権利条約はとりわけ意義があり-一部省略-校則や卒・入学式における『日の丸・君が代』強制の問題など、子どもの権利が侵害される環境から子どもを救済する措置を速やかにとるためにも具体的な制度の制定が必要。条例の早期制定に取り組むことをここに確認します」という内容になっている。

推進派の市民団体の正体
 この市民集会の主催は「民主教育をすすめる札幌市民連合」で、事務局は札教組(札幌市教職員組合)にある。会長は自称人権派の弁護士、資金は札教組が全面的に支援している。この集会の資金も市民連合の予算から出ているが、実体は全面的な協力関係にある札教組のお金ということになる。
 この集会に、札幌市未来局の高屋敷部長が出席し、市の権利条例の素案の経緯(いきさつ)や取り組みの報告をした。同部長の出席依頼は、一般常識的には「急な話」で「開催月の初旬に依頼があった」という。正式な出席依頼文書ではなく、会長の江本氏の名前と札教組の電話番号が書いてある程度の(団体の所在地が分らない)文書での依頼だったという。
 公正無私、中立の立場にあるべきはずの公務員の高屋敷部長が、もしこうした一部の団体の集会にだけ参加しているとすれば問題がある。例え公務だとしても、何故、この集会で発言をしたのかという疑問が残る。条例制定に向けて、「市民集会で説明した」という実績づくりではないのか、という疑問だ。

講演会の内容
 この日の講師は、山梨学院大教員の荒牧重人氏。話の内容をかいつまんで紹介すると-。
 「子どもの権利を否定する人はいない。しかし、本音では子どもの権利があったら指導出来ない、と思っている人がいる。条例に反対の人は子どもを信用していない。人生は子ども自身のもの。教師は責任やルールを守る事を教えるというが、子どもは本来それを身につける力をもっている」
 しかし、常識的に考えて、躾や指導があってこそ礼儀作法やルールのわかる日本人に育つのではないだろうか。
 また、「国連加盟国のユニセフ子ども権利委員会が、日本にこれが必要だから、条約を実現させるようにいっている」というが、実際に誰がそんなやりとりをしたのだろうか。「日本の子どもは抑圧され、差別されている」とどの団体の誰がユニセフに報告したのか大変興味がある。しかし、その前に、子どもの権利条約と札幌市の子どもの権利条例は別物なのである。
 さらに荒牧氏は「宣言でもいいが、法律が必要。法律にするとメッセージがある。実施の方向性の根拠付けになる。子どもは救済の対象者。子ども自身の問題は子どもが解決する。子どもが主役になる学校とは、学校行事を全部子どもが行う学校だ。・・・なぜ国旗、国歌を強制するのか。教師は処分を受け、組合が分断されていく。これが国の政策だ・・・」と語る。
 話の端々に垣間見えるのは彼ら推進派の"本音"なのか。子どものために独立した権限をもつ「救済機関」が必要なのは、本当は自分たちの方なのではないか。
 子どもの権利条例については市民の中にもさまざまな意見がある。しかし、一般の市民はどれほどこの条例の中身を知っているだろうか。この条例の本音がどこにあるのか、ほとんどの人は知らないと言ってよい。
 子どもの権利条例を口にする時、推進派の人々は「子どもは弱い、障害者も弱い、弱い者を守るのは当たり前」ということを強調するが、私たち日本人が受け継いできた常識、つまり弱者を労わり、相互扶助の精神で、お互いを信頼し尊重しあって社会生活を営むことはわざわざ条例で定めてもらうようなことではない。大前提に、障害者もお年寄りも経済的弱者もみな国民の人権は憲法で保障されている。弱者の権利というなら"高齢者権利条例"や"貧乏人権利条例"も作ってもらいたいものだ。
 この条例の素案を読んだある主婦は「こんなこと、大きなお世話」だと怒った。最後に、札幌の市民が札幌市議会に提出した意見書を読んでいただきたい。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック